意味性から逸脱とフォーマットへの偏愛

結局の所私たちの存在に意味性を求めてしまっては理論の袋小路に迷い込むしかないのだと思う。そこにあるのは減少としての「型」であって、それらは一時的に存在し、実態はない。

もちろん、生命の根幹は物質ではなくタマシイであると考えることもできるが、それ自体実証は難しく、その存在を理解するより、わからないものをわからないものとして容認した方がいいのだろう。

我々は、そうして、大海の波の様に一時的存在している。

その本質に迫ることもなく、その形状にに注視してみよう。

そこには、繰り返すパターンとしてのリズムがあり、相互に影響し合い、カラフルな幻想を作りだしているのだ。